『よーすぴサンタ』安西さん&藤澤さんインタビュー文字起こし 「坂口博信に愛想を尽かせてカプコンに入社した」

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よーすぴサンタ ~1970年生まれのクリエーターと過ごすクリスマスナイト~


2020年で半世紀を生き抜いたゲームクリエイターたちを集め、どういった幼少期、学生時代、そしてどうしてこの業界を志すようになったのかなど半生を聞き出す番組。

 

安西崇

1970年生まれのクリエーターと言いつつ、安西さんは1971年1月の早生まれ。“同学年”ということで出演。

早々たる1970年生まれのクリエイターたち

・生まれも育ちも神奈川県の横浜出身。

・小さい頃、喘息持ちだった。子供頃は家の中で本ばかり読んでいた。小5でピタッと止んだ。

・よーすぴも喘息持ちで30代まで治らなかった。

・最初に触れたデジタルゲームはパソコンゲームの「デゼニランド」

MEMO
デゼニランドは、1983年にハドソンが発売したパソコン向けアドベンチャーゲーム。

・幼少期は貧乏で初めて買ったコンシューマーゲームはスーパーファミコン。アルバイトをして自分で購入。

・ファミコンは友達の家で遊ばせてもらっていて羨ましかった。

・友達がDQ1~3をプレイしてるのを後ろから見てた。

・後々にDQ4~5プレイして「すっげぇおもしろい!こんなに面白いゲームあるんだ」と感動したのと同時にリアルタイムでDQ1~3をプレイできなかったことが心残り。

・初めて買ったパソコンはX68000

・三国志をひたすら遊んでいた。

・中学校時代の部活は剣道部。モテなかった

・中1の時に交通事故に遭い頭蓋骨が割れるほどの大怪我。

・当時の記憶がなく、自分で自宅まで歩いて帰ったが、玄関前で倒れ病院に運ばれたが三日間意識がなかった。

・その頃から物忘れが激しくなった(個人の感想)

・以降、激しいスポーツはやれなくなったため、生徒会長をやっていた。副会長。モテた。

・小学生からずっと教師になるのが夢だった。

・大学(日大)に入り歴史が好きだったから世界史の高校教師になることを決意。

・大学は歴史研究サークルに所属し、友達の下宿先で三国志ばかり遊んでいた。

・皆が就職活動の時期、教育学習も終わり自分は暇だった。

・三国志仲間から「昨日コーエーの面接行ってきたんだ。来週もやるらしいよ」と聞き、自分も受けることに。ここでゲーム業界について考えるようになる。

・就職活動はコーエーとソニーで迷う。父はソニーで働いている

・最終面接はコーエーとソニーが同日だったが前者を選択。

・ちなみに三国志仲間の友達は内定は出なかった…w

・コーエーは一般常識の難しい問題が多かった。元々教師を目指していたおかげで応用が利いた。

・コーエーはプランナー志望。大航海時代について熱く語った。

・配属された上司が大航海時代の生みの親だった。

・その人に色んなゲームの作り方を学んでいた。

・その上司はすごい人なんだけど、会社に全然来ない人だった。二日に一回来ればいい方だった。

・安西さんが出社して最初にする仕事はその上司の家に電話をすること。

・電話をかけると上司のお母さんが出て「安西さんごめんなさいねぇまだ寝てるの」と言われる毎日だった。

・大航海3をその上司が作る予定で開発スタートしたが、“あることがキッカケ”で入社3年目の安西さんが任されることになる。

・その会社に来ない上司が自然消滅。フェードアウトしてしまった。

・新人同然の安西さんがディレクターに抜擢され、右も左も分からない状態。

・資料書もどう書いていいか分からなかったが、当時はコピー用紙は節約のためか、印刷されている裏側を再利用してた。その印刷されているコピー用紙をかき集め、それを見て勉強していた。

・結果、無事に大航海3は成功。自分でも納得のいく内容にできた模様。

・歴史系のゲームをみんなでワイワイと楽しめるゲームが好きだったこともあり、ネット対戦できる「信長の野望Internet」を手掛ける。

MEMO
『信長の野望Internet』は、1998年にコーエー(現・コーエーテクモゲームス)から発売されたWindows用歴史シミュレーションゲーム。コンピュータ相手に1人でのプレイも可能だが、インターネットによる通信対戦を前提とした造りになっている。

本作には「1プレイ終了までに時間が掛かる」、「途中で滅亡したプレイヤーは以後ゲームに一切参加できなくなる」など欠点も多い。参加者の時間的都合などで途中で抜ける、更にはゲーム自体を中断、ということも頻繁にある。最後までプレイできた場合でも残っているのは8人でプレイした場合でも2人で、残り6人は以降一切ゲームには参加できない。

2013年11月13日、『三國志Battlefield』『三國志Internet』と共に、「Dynasty Lobby」でのサービスを終了し、ネット対戦そのものがサービス終了となったが、一部のユーザーがIRCを使用してのネットワーク対戦を継続している。

・PSOが出る前に作りました!(ドヤァ)

・一応の手ごたえは感じていたものの、歴史というジャンルではPSOには敵わない。よりもっとオンラインゲームを遊んでもらえるためには「DQやFFのようなブランド力が必要」と強く思うようになる。

・コーエーに8年務めた後、スクウェアに入社。

・焦りを感じていた時、ヒゲの人(※坂口博信 FFの生みの親)と話す機会があった。「安西君、ドラクエ作りなよ」と言われるがまま開発をスタート。

・しばらくしてからヒゲの人が開発現場に現れ「実はエニックスに許可貰ってないんだよね~w」とカミングアウト。安西「えええええええ!?!?!?!」

・ヒゲの人は許可をもらうため、エニックスに出向き当時ドラクエの課長だった三宅有さんと交渉。結果、坂口「ダメだったわーw1年くらい遊んでてw」と言われ、もう付き合ってられないとスクウェアを1年ちょっとで退社

・コーエーを辞めたあと、当時カプコンの副社長から「うちでオンラインゲーム作ってよ」と誘いを受けていた。その時はスクウェアとの二択で誘いを断っていた。

・スクウェアを辞めたことをカプコンの副社長に話したら「明日から来なさい」とカプコンに入社

・入社後「オンラインゲームなら何作ってもいいよ。その代わり、予算と人は自分で集めてね」と課題を命じられる。

・何とか予算や人を集め、オリジナルのオンラインゲームを作っていた。

・バトルのない生産系のオンラインゲーム。フィールドを集めて生産したり貿易を作るゲーム。セカンドライフ的なもので当時は時代が追いついてなかったため世には出なかった。

・2年半務めたのち、現在までスクウェア・エニックスに所属。

・DQ10は7周年を迎え8年目に突入。よーすぴが言ってた10年計画なんてすぐですよ。「10年以上続けます!」

・バージョン5はとても好評。

・キャラクターボイスを導入したり、成長システムを見直したりしている。

・DQライバルズ内でDQ10のキャラが喋ってて「うちのキャラが先に喋ってる」と悔しかった。

・DQにボイスと賛否がありつつもヒーローズ、DQ11Sとボイス付きが当たり前になりDQ10も導入せなあかんぞと。

・DQ10の第一声は誰に担当して欲しいかと議論を重ね榊原良子さんに担当してもらった。

(ガンダム無知なので知らなかったのですがハマーン様として有名なお方らしいです)

・ドラクエも変わってきている。

・もうすぐ50歳。近い将来の話をするとDQ10のディレクターはいつまで続けるのかと言われてしまうので、、いつかの将来的な話をすると、自分のルーツである歴史もののゲームを作りたい。スクエニで本格モノの歴史ゲームを作ってみたい。

・りっきーが作っているゲームも楽しみにしている。

・(クリエイターから見るプロデューサー論について)持論も求めるものはない。よーすぴも青山さんもタイプが違うし。二人の時代とも自由にやらせてもらえてるのでありがたい。

 

 

藤澤仁

・現在はmixiに所属。ゲームを作ってるような作ってないような…。

・ゲームというよりスポーツ寄りの仕事をしてる。スクエニ時代作った「プロ野球が好きだ!2017」みたいなことをやってる。

・シナリオ専門の会社「ストーリーノート」を設立。


・残りの人生を逆算して何ができるかを考えてた。

・独立をして物書きが好きな仲間を集めて、大きく言えばゲーム業界のシナリオの水準を上げられるような仕事をしたい。

・シナリオは一生勉強。熱意さえあれば未経験者でも大歓迎。堀井さんの弟子に入ったが、最初はみんな未経験者だった。

・ゲームディレクターは良くも悪くも得意じゃなかった。元々DQ9,10のディレクターはやりたくなった

・物を作ってる現場に立ちたい。ディレクターは違った。

・DQ9時代は時間がないという制約もあり地獄だった。

・はじまりは堀井雄二さんのシナリオ作りの助手という形でこの世界に入った。

・12月生まれ、平塚出身。

・野球が大好き。でも幼少期は体が小さく野球をやっても全然うまくなかった。

・体を動かすことは苦手だと早々にあきらめがついた分、ゲームには早い段階からのめり込んでいった。

・すがやみつる氏の漫画「ゲームセンターあらし」に感銘を受ける。NECの低価格ホビー用パソコンPC-6001を題材にしたパソコンの紹介・入門漫画「こんにちはマイコン」でプログラミングも嗜むように。

・実家は貧乏でパソコンは買えなかったが金持ちの友達の家にPC-6001mkIIを買ったのでお古のPC-6001を5000円で譲ってもらう。

「ムーンクレスタ」をはじめ早い頃からゲームに精通。

MEMO

『ムーンクレスタ』 (MOON CRESTA) は、1980年に日本の日本物産から稼働されたアーケード用固定画面シューティングゲーム。

タイトーの『スペースインベーダー』(1978年)の流れを汲んだ縦画面縦方向のシューティングゲーム

・意外にも高校時代はゲーム生活は0に。16歳になったらバイク乗り回してた。最初に買ったバイクは中古のカワサキKR

・バイト中、スーパーカブで事故を2回起こしてクビになる。

・高校卒業後、ロクに学校にも行かず内申が悪く就職できなかった。

藤澤家初の高校卒業者だった。

・裕福な家庭じゃなかったがお金出すから専門学校行ってみたら?と言われ心を改めるようになる。親に感謝。

・専門学校で仲良かった友達はよーすぴの学生時代の友達でもあった。意外な共通点。

・卒業間際暇で仲間たちで映像作品コンテストに応募。

・そこで初めてシナリオを書く。

・専門卒業後、日立ソフトに入社。面接すれば誰でも入れるいい時代だった。

・この時点でもほとんど高校生以降ゲームは遊んでいなかった。マリオカートくらい。友達と集まって三国志もやってた。

システムエンジニアという仕事だったが、中学時代に触れていたのでできると思ってた。

・調子に乗った若者で「俺は何でもできる」と謎の自信を持っていた。が、社会に出ればすごい人はいくらでもいて自信をなくしていた。

・じゃあ自分は何ができるんだと自問した結果、専門学校時代に映像作品のシナリオを褒められたことを思い出す。

・社会人1年目から小説を書き始める。その作品が「夏の呼吸」

・最終選考まで残りすぐに小説家になれると思ったが、そう現実は甘くなかった。

・日立で働きながら小説を書き、睡眠時間2時間なレベルな生活を25,6歳まで続けていた。

・DQ1~4は発売日に買ってプレイしてたけど、5,6とか以降はブームが去った頃に細々とプレイしたくらい。

・ドラクエは好きだけどそこまで熱狂することもなくゲームにはのめり込めてなかった。

・PS1が発売されて「バイオハザード」をプレイ。こういう世界があるんだと、ゲームで自分が好きなシナリオが活かせるんじゃないかと思い始める。

・しかしすでに27歳でゲーム業界に入ったのはかなり遅め。

コナミの脚本部門の面接を受ける。

・当時の偉い人が面接官でシナリオを書きたいと熱望するも「お前はプログラマーの仕事してたんだからそれやりながら話書け」と言われるが「シナリオ先行じゃないとイヤです」と藤澤さんも引き下がらない。そうしたら名刺を渡されて「面白いシナリオ書けたらこの名刺と一緒に送ってこい」と言われる。

・そんな時にドラクエシナリオの試験があると知り応募して見事合格。

・いまだにコナミの件に関しては保留の状態になっている。

・プロデューサー経験もあるが、ディレクター以上に向いてないなと思った。どんどん現場から離れてしまう職業だった。

・理想のプロデューサー像はとにかく信頼して現場に起こる足枷を取り除いてくれる存在であってほしい。

 

 

その他

・神谷英樹「バイオ2が500万弱売れた。27歳にして巨額のマネーが手に入った」

・神谷英樹「彼女にフラれて合コンしてもイイ女はもうこの世に存在しないと思っていた。しかしショーパブに行ったら世界が変わった。以降週5ショーパブに通う」

・神谷英樹「当時iPodが欲しかった。『この3万あれば買えるなぁ』と思いつつお姉ちゃんのお店に行ってしまう。結局iPodは中古1万で買った」

・桜井政博「星のカービィは19歳のころに作った(発売時は22歳)」

・桜井政博「HAL研究所が倒産一個手前の状態でカービィ発売が危ぶまれたが、任天堂が『これはうちで販売した方がもっと売れる』と若干手直しし500万本売れる」

・ヨコオタロウ「齋藤陽介は邪魔もしないし金も払うし良いプロデューサーです」

・ヨコオタロウ「桜井さんとは初対面だけど謝りたいことがある。うちの妻、横尾有希子は太鼓の達人のキャラ世界観設定、アートディレクション。TGSで桜井さんを見かけた妻が『スマブラの人だー!』と大声で指さしたことを謝りたい」

 

 

 

エルおじ

正直な話、ドラクエ10をプレイするまではゲームを作ってる側の人なんて全く興味も関心も持ってなかった

でも作り手を知ることでよりその作品を愛することできるようになりますね

 

ただの50手前のおじさんたちがワイワイお酒飲んでるだけの放送じゃなくて

“中身のある”面白い放送だったから見てない人はぜひタイムシフトで。

 


 

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58 COMMENTS

匿名

この世代の人たちは泥臭くて面白いね
今の若いクリエイターはもっとスマートで優等生なイメージ
間違っても週5でショーパブなんか行かないだろうなw

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匿名

安西っていつも自己評価だけは異常に高いな。
自己弁護もいいかげんいしろよ無気力野郎が。あいつアホちゃうか。

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匿名

底辺(?)からでも有名ゲーム会社に入ってドラクエのシナリオを書いた凄い人じゃないか
それに成田のシナリオよりはいいシナリオが書ける人間だぞ

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匿名

ドラクエ10するまでゲームの世界で知ってるのは堀井さんと坂口さんくらいでした
文字起こしありがとう、興味深かったです、タイムシフト見てみます

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匿名

いまのドラクエ10に必要なのは若い人なのかもしれんな
安西も藤沢もたまたまドラクエに来た人、という風に読める

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匿名

具体的に誰ってわけではなくて、俺がドラクエなんとかしてやんよ!って
情熱に駆られてるような奴がいたらいいだろうにな
藤沢はシナリオがかければドラクエでなくてもいいし
安西は歴史ゲームが作りたいんだろ

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匿名

吉田サイン会やってファンたくさん来て盛り上がってたみたいだな
仕事が出来て人がいいとか最高だな
安西がサイン会なんか開いたらアンチがたくさんきて刺されまくってしゅらばだろうな
ドラクエ民なら人平気で刺すだろうし

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匿名

りっきーがまだ生きてるくらいだから大丈夫
とはいえ殺した奴を英雄視して一生崇めそうな空気はあるよね

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匿名

>>ただの50手前のおじさんたちがワイワイお酒飲んでるだけの放送じゃなくて
“中身のある”面白い放送だったから見てない人はぜひタイムシフトで。

前者はそもそも方向性が全く異なる放送だったのにわざわざ取り上げる必要ある?

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匿名

というかただの50手前のおじさんたちがワイワイお酒飲んでるだけの放送の方が面白いんだけどね
身内ですごーい!し合うだけの馴れ合いより

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匿名

安西 話が前後してない?
話さなくてもいいこと話してない? 草も生えないぞ

“中1の時に交通事故に遭い頭蓋骨が割れるほどの大怪我”
イカれてるのはこれが原因か?

“その頃から物忘れが激しくなった(個人の感想)”
おい 大丈夫か? 現職のディレクターだぞ!

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匿名

『令和元年人狼納め24時間アルティメット人狼スペシャル』
2019/12/27(金) 13:00開始
齊藤陽介 (スクウェア・エニックス)
安西崇 (スクウェア・エニックス)
初美メアリ (モデル・声優)

メアリの配信によーすぴと安西が登場するとか
もう少し今の状況を打開しようという姿勢を見せても
いいと思うんだけどねw

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匿名

面白いけど再生数伸びないな。
プレゼントがないと見ないドラクエ民と開発陣が麻雀してるだけの放送でも見るFF民の差はなんだろうね

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匿名

ヨコオが爺ちゃん見てて社会人の同僚なんて金の繋がりしかないって学んだ
自分の今の立場がなくなったら齊藤さんだって縁切るでしょみたいなこと言っていてワタ

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