2025/12/27放送された『FFXI』の記念サイト「WE ARE VANA’DIEL」の制作にも関わっている電撃の旅団のおしょう、ファミ通のオポネ菊池がMCとなって、ヴァナ・ディールでの冒険をサポートする番組の第14回!「ファイナルファンタジーXI A.M.A.N.とLIVE! 第14回」
今回のスペシャルゲストトークのゲストは、『ドラゴンクエストX オンライン』の初代ディレクターであり、現在は株式会社ストーリーノートの代表を務める藤澤仁さん。『FFXI』でのさまざまな冒険エピソードや、『ドラゴンクエストX オンライン』を開発するうえで参考にした点などをうかがいます。
41:56~
DQ7のシナリオスタッフとして初めてドラクエに関わり、DQ9やDQ10(ver.1)のディレクターも担当している。2018年にスクエニを退社し、株式会社ストーリーノートを設立。
目次
ドラクエ10について
オポネ菊池
そんな藤澤さんがドラクエ10オンラインのディレクターを務めることになったのでしょうか
(FFのオンラインがあるならば)ドラクエのオンラインもあるんじゃないかってそういう雰囲気が社内に流れていた。
ドラクエの作品を一つ世に出したら「次はオンラインのドラクエを作らなきゃいけないな」と思ってはいた。それが今なんじゃないかって言う機運があった。
とはいえ、FF11もあるし、元々オンラインゲームを通ってこなかったので、やりたくない…と消極的な気持ちではあった。尻込みしてた。
のちのDQ10プロデューサーである齊藤陽介が「一緒にドラクエのオンラインゲーム作ろう」って声をかけてもらい、「いつかドラクエのオンラインゲームを作るんだったら自分が関わりたい」と思っていたので、決心しました。
藤澤仁
オポネ菊池
もっと言うと、現在のショーランナーである安西崇やFF14の吉田直樹も巻き込んで「みんなで面白いオンラインゲーム作ろう」って雰囲気を作ってくれていた。良い環境の中でできたなと思っています。
藤澤仁
オポネ菊池
そこでFF11をプレイされたと聞きました。
なぜFF11だったんですか?
ちょうどその時期に齊藤陽介がめっちゃFF11プレイしていて「じゃあみんなでやろうか」って流れになり触りどきではあった。
藤澤仁
オポネ菊池
プレイしてたと言っても…実は…3ヶ月くらいしかプレイしていなくて…なんで辞めたのか後述するとして…
当時は
・ウィンダス
・ヒューム
・ジョブ:モンク
・サポ:シーフ
藤澤仁
オポネ菊池
めちゃクセつよ!特にUIのクセが強い。
ドラクエに慣れていた身としては「マジか…」って感じで。。
外出ればすぐに殺されるし、人を楽しませる気がないゲームだな。
これは当時もう好きになれんなって、プレイした3ヶ月の間に2回投げ出している。
最初の1ヶ月で投げ出してからひたすら途方に暮れていた。
藤澤仁
オポネ菊池
藤澤仁
オポネ菊池
ドラクエの生みの親である堀井雄二さんもFF11を遊ばれていたようですが、一緒にプレイしたりFF11談義などはありましたか?
堀井さんって未知なるものに対する対応力がめちゃくちゃ高い人でFF11の癖つよUIにもすぐ馴染んで、堀井さんは楽しんでた。
FF11の話もよくしていて「FF11って楽しんだけど遊びづらいよねー」ってことを頻りに話してた。でもいいなって思ったのはドラクエでも転職システムがあって、ジョブシステムがあって「サポートジョブってすごく良いシステムだよね」って話してて。
(メインジョブとは別のジョブを設定することで、そのジョブの能力を追加で使用できるようになるシステム。例えば、黒魔道士のサポートジョブに白魔道士を設定すると、回復魔法も使える黒魔道士になる)
これってある意味、ジョブシステムの完成系だなって。育成に立体感出ましたよね。
藤澤仁
オポネ菊池
おしょう
FF11で出会った人に助けられオンラインゲームの楽しさを知った
ドラクエはオンラインにするべきではない!って強く言ってたくらいで…。
それでもオンラインにすべきって人も多くいて。
とにかくFF11をやりなさい。って言われて。
FF11を2回投げ出して、「次また投げ出したらもう僕はドラクエ10オンラインには関わっていないんだろうな」って思うくらいの瀬戸際にいたんです。
そんな中、サルタバルタでクロウラを狩っていたんですね。
レベル低くて敵に追っかけられて殺されるんです。
誰か生き返してくれないかな〜と待ってもLv低いし誰も見向きもしてくれなくて決断。
もう〜〜やめた〜〜〜〜〜ドラクエ10も参加しない〜〜〜
誰かが勝手に作ればいいよそんなもん
…そう思った瞬間、心の中でスイッチが入りまして。
行けるところまで進んでみようと思い、サルタバルタの奥地へとどんどん進んでみたんですよ。
そしたら今度はエリア変わってゴブリンが追いかけてきたり、それを絶妙に避けながら行ったら、一瞬“オンラインゲームの神様”が微笑んでくれたのかマウラまで行けたんですよ。
わあ、船があるんだ。それじゃあちょうど片道分だけのお金を持っていたので、乗ってみようと。
クォン大陸の町セルビナに着いたら、お金もない。レベルも低い。完全に詰んでいる状態。
ちょうどその時期、海外版FF11がリリースされたくらいだったのかそのエリアにいた人たちってみんな日本語を喋っていなかったんですよ。
英語ばかりのチャット欄の中に、たまたま日本語でオープンチャットをしている人がいて。
何を思ったのか「すみません—」と話しかけてみたんです。これこれこういう事情で詰んでて助けてくれませんか?と。
「ごめん、これから友達と約束してるから」とあっけなくあしらわれて終わってしまった。
目的もなく呆然と30分くらいキャラを放置していたんです。そしたらさっきの人が帰ってきて「まだ困っていますか?」と話しかけてくれたんです。
「困ってます!」と返したら『じゃああと15分くらい待ってて』と言われて、そこからサポジョブ解放のクエスト全部手伝ってくれて、渡せるアイテム色々くれたりして、『楽しんでね』と言ってくれたんです。
その時に、感じたことが。
「これゲームか?」
なんだこれ。生まれて初めての体験で、その瞬間にオンラインゲームめっちゃ面白い!!!!!と感じたのが僕のエピソードです。
藤澤仁
おしょう
藤澤仁
オポネ菊池
藤澤仁
オポネ菊池
おしょう
藤澤仁
その人がいてくれたかどうかで全然違っていたなと思います。
オポネ菊池
藤澤仁
おしょう
人と人とのやりとり。これまでに感じたことのない感覚。
オポネ菊池
おしょう
オポネ菊池
人と人が出会って物語が生まれる。っていう体験が初めてだったんですよ。
そもそもオンラインゲームやったことなかったから感動しました。
藤澤仁
オポネ菊池
藤澤仁
2004年末頃、『ドラゴンクエスト オンライン』(後の『ドラゴンクエストX』)制作に伴い、齊藤陽介の招聘で翌2005年1月にスクウェア・エニックスに入社。その後ディレクターとして『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』シリーズに携わる。
『ドラゴンクエストX』ではチーフプランナーを務め、2007年末から2009年半ば頃まで一時離脱していたディレクターの藤澤仁の代理を務める。藤澤が復帰し業務が安定したところで、新規プロジェクト立ち上げのため『ドラクエX』プロジェクトから離脱。
2010年12月10日、『ファイナルファンタジーXIV』開発運営体制変更のため、田中弘道および河本信昭の両名に代わり同ソフトのプロデューサー兼ディレクターに就任。Wikiより
毎日僕の隣の席でオンラインゲームはこんなに面白いんだ!って話を…あの人トーク上手いじゃないですか。
毎日聞いてるうちに「面白そうかもー」と洗脳されていった。
だから吉田と安西さんとFF11で助けてくれた人…全員いなかったらこうはなってなかったと思う。
藤澤仁
オポネ菊池
その時にようやくドラクエのオンラインゲームという高い壁を越えた。作りたいと思えた
藤澤仁
思い出深いアイテム
オポネ菊池
クロスカウンター
みなさんから見たらどうなんですかね?
藤澤仁
おしょう
一日5000ギルくらいしか稼げなかった時代に300万ギルしましたからね。高い!って思って。
でも一度は装備してみたいなって思ってて。どこかの谷のマップで毎日ハチミツを集めていたんです。それを蜜蝋に変えて、バザーに出品して…という金策をしていました。
気づいたら2週間それだけしかやっていなかった。
それで日給1万ギルくらい稼いでて。
結果、高すぎて手にすることはできなかった憧れの思い出のアイテムです。
藤澤仁
オポネ菊池
たまにネームドモンスター(通常より強力で希少な、特定の時間や条件で出現する敵)を見つけては倒したら、近くにいた外国人がチャットで「ギルセラー!ギルセラー!」って業者に間違われていたくらい。すげえシャウトされて嫌なゲームだなぁ…って思った。
なので、クロスカウンターいまだに欲しいです。でも仕様変わっちゃったんですよね?
藤澤仁
オポネ菊池
藤澤仁
オポネ菊池
DQ9はFF11を参考にして作ったDQ3-2
オポネ菊池
恥ずかしながら世論の声に自分も流されていたんですが、実際にやってみたら驚きとか、DQ8の時にもう半分ディレクターみたいな仕事をしていたので、ドラクエのスタッフになってから10年以上経っていた。
DQ8のバトルの責任者でもあったから、「RPGとは」という正しい考え方を持っていたはずなんだけど、そういう常識が全部破壊されるくらいFF11はバトルが面白かったですね。
途中から当時のスタッフとご飯行くとFF11の話しかしなくなっていた時期があった。本当毎日はやく家帰ってFF11やりたいなーって思ってたし、齊藤陽介から「1ヶ月会社来なくていいからFF11だけやってくれ」と言われたことがあって。で、本当に毎日FF11だけやってて、会社に行かなきゃいけない日が来たときに本当に会社行きたくねぇと思ってしまったほど。
自分ってこんなにもゲーム好きだったんだなって気付かされた。
当時、mixiのプロフィールに「好きなゲーム」の欄にFF11って書いてたくらい。
FF11は自分の概念を破壊してくれた素晴らしい出会いでした。
藤澤仁
オポネ菊池
FF11やって思ったのはどの部分を見ても厳しいよな〜って。UIしかり、レベリングしかり、金策しかり。
その辺りを丁寧に遊びやすくしてあげればいいんだろうなって思いながら実践したのがドラクエ10なんです。
FF11の“面白さの核”を知らなかったらMMORPG作れなかったと思うし、どこを参考にしたかと言われても難しくて「全部」。
FF11はバトルシステムが本当に面白くて。
実は同時期にDQ9の開発のディレクターも担当してて、一旦、DQ10の開発から離れていたんです。
この放送見てる人は分かってもらえると思うんですけど、ドラクエ9ってFF11ぽくないですか?
藤澤仁
おしょう
僕の中でドラクエ9を作る際のコンセプトがあって。
ドラクエ3-2を作ろうと思っていたんですよ。
DQ3って物語が素晴らしいけど、転職システムも素晴らしかったじゃないですか。
システムでずっと遊べるゲームがDQ3。それの最新作がDQ9だったんです。
だから転職システムをブラッシュアップするのに参考になったのがFF11だし、DQ9をめっちゃ遊んでくれた人がいて。それが松井さんだったんですけど。(松井聡彦:FF11の2代目プロデューサー)「家族みんなで遊んでます」って言っていただいて。
青山さん(青山公士:DQ10の2代目プロデューサー)を介して「藤澤さんとご飯を食べたい」と言ってくれて、松井さんたちとご飯を食べて、FF11を参考にしたゲームをFF11を作った人に遊んでくれて面白いと言ってくれたのがとても記憶に残っている。
藤澤仁
オポネ菊池
ドラクエ10は自分の人生の代表作です
オポネ菊池
「ドラクエ10は自分の人生の代表作です」
人生で最大とまで表現された意図は?
これ言っちゃいけないんだけど、FFもすごいと思うけど、DQ10の開発期間も中々なんですよ。
それだけの時間を折れるわけでもなく挫折するわけでもなく、その時持ってた自分の資質とか気力とか全部を注ぎ込めたのがDQ10だった。それをできたのがとても幸せだった。
自分が離れてもう10年経っちゃいましたが、いまだに新パッケージがリリース予定だったり、後輩のみんなが作り続けてくれている作品に関われてのはとても幸せだなって思います。
藤澤仁
藤澤仁
おしょう
藤澤仁
DQ10の時って開発ディレクターでもありながら、リリースして1年半くらいまでは運営プロデューサーもやっていたんですよ。
運営側になると自分も出役として表に立たなきゃいけなくて。最初は喋るのも嫌だし、今はよくしゃべりますけどw当時は苦手だったし、どのオンラインゲームの最初って同じだと思うけど、つっかえつっかえでトラブルも多かった。
一生懸命やっていることと、ドラクエを心から愛してるっていことが伝わったのか途中から、冒険者の皆様から応援をもらえるようにもなった。
視聴者の中にも当時遊んでくれていた人もいると思うけど、そういうことがあったから今でも「藤澤さん!」って声をかけてくれることもあるし、藤澤個人を認識されるくらいになれたのは、それをやっていたおかげかな。
それも込みで「ドラクエ10は自分の人生の代表作です」と表現しています。
オポネ菊池
おしょう
藤澤仁
相撲システムは叡智の結晶
オポネ菊池
藤戸洋司FF11 PD
FF11自体も、海外でMMORPGが流行っていて、それがまた難解な作りになっているのをどうコンシューマーに落とし込むか、スタートした作品なので。
それを参考にさらに珠玉の作品が生まれたことに喜びを感じます。(DQ10発売時点でFF11は運営して10周年経過)“素材として”生き残ってきたってのもありますし、今だに続けていけていることが、藤澤さんが言ってたコアの部分、FF11のコアはすごくデカくて切り取るのは難しい。「オフライン版のFF11作ってもつまらないです」って時々言ってるんですけど、コアが乗らないんですよ自分の頭の中に。
DQ10もオフライン版がリリースされて、スタッフの方々はそこのコアの部分にとても苦労されたんじゃないかって思うんですよ。
それを形にできたのは素晴らしいことだと思います。
オポネ菊池
おしょう
オポネ菊池
藤澤仁
藤戸洋司FF11 PD
当たり判定って通信すると絶対ラグが発生するから。
あれの仕組みや大変さを理解できてなくて、その引っ掛かりを利用して相撲システム実装したらいいじゃん!って無知が故の子供っぽい発言をして青山さんたちを困らせていましたw
藤澤仁
オポネ菊池
当時の開発チームの叡智の結晶。
FF11プレイされている方で、DQ10未プレイの人はぜひ体験してみてほしいです。
藤澤仁
オポネ菊池
それでDQ10がそのシステム実装するって聞いて「本気か!?」と驚かれていたのは。
藤澤仁
藤戸洋司FF11 PD
新作ゲーム紹介
オポネ菊池
藤澤仁
エルおじ
私もDQ10が初めてのMMORPGでしたが、知らない人との交流や協力、助け合いをした時には、今までのゲームでは味わったことのない感動を覚えた思い出があります。
一番最初にフレンドになった人のことを今でも思い出します。
他愛もない話をチャット打ちながら、レベル上げしてるだけで楽しかったあの日々。
でもある時からパタっとログインしなくなってしまいました。
連絡先も当然知らないしゲームログインしなきゃもう会えない。相手の事情も分からない関係です。
そんなある秋。ログインしなくなってから1年以上経過した日です。
そのフレンドさんからの手紙がゲーム内に届きました。
レベリングをやめて急いで郵便屋さんへ行き手紙を読んでみると事故で入院していたこと。後遺症が残ってしまったこと。ゲーム自体することが難しいという内容でした。
すぐにお返事の手紙を送ろうとしたんですが、フレンドさんの郵便がいっぱいだったようで手紙を送れませんでした。
それがフレンドさんとの最後の交流でした。
楽しい思い出も悲しい思い出もたくさん経験させてくれたドラクエ10の感謝。






















ロンフォールからジュノに着くまでって
本当に冒険だったよな
あんな気持ちは二度と味わえないのが残念
初期村からジュレット行くのも冒険だったよ。
最初の村から次の街へ行くところでさえ
種族間の格差が酷かったなあ
FF11やってみたくなっちゃった
生配信のコメント欄が今でも吉田叩きで溢れていてFF11も相変わらず怨念洞だなとは思った
DQXのアカでFF11やりたいわマジで
DQ10 もver1.0はMMORPGらしさがあったんだよ。
リッキーが破壊したけど。
まんまる堂がすべて壊しちゃったんじゃないの
ver1時代が1番楽しかった
サ終みたいなコメントで草
まじで移動干渉システムはもっと評価されてもいいと思う
これがなかったらDQ10はドラクエIPってだけのごく平凡なMMORPGになってた
吉田がFF14へ行かなかったらDQ10が覇権MMOになってたかもしれないんだよね
オフゲーに寄せまくった今のドラテンと違って、ドラクエらしさは抑えめのしっかりMMOらしいゲームになっていた
だから国内の従来のドラクエファンには非常に評判は悪いが、他のゲーム好きやMMOゲーマーには受けてただろう
Ver2でドカンと流行らないけどドラテンの今ほど凋落はしてないし、中華版も撤退しなかったかもしれないな
まぁ「たられば」の話だ
新生FF14がなければDQ10の国内1強だった
開発費も潤沢になって運営規模も今のFF14みたいになってたかも
ヨシダじゃなくて本当によかった
DQ10最初はオンラインが怖かった(勇気出してやり始めた頃には1.1になってた)が、
今では思い切って飛び込んで良かったと思ってる
吉田だったらデルメゼ永遠に倒せないままだったと思う
当たり前の事コメントしてて草
吉田だったら今頃ツールチートを使うのが当たり前でありがとうだった
まーたー
エルおじちゃん出禁にしないでよー
出禁になってなかった
ごめんね!
なんだ?ドラテン最終回か?KOKIAのありがとうでも流しとくか?
吉田じゃなくてよかったよ
チーター容認コングラは勘弁
徹底的に吉田は呼び捨てで草生える
話長っwww
新生FF14なかったらスクエニ消えてた可能性も
吉田を送り出したドラテンの功績はあまりにも大きい
マジで吉田がDQ10に居坐らなくて良かった
今が良いとは言い切れないがこいつがいたらもっと悪い状況になってたのは間違いない
まるすけさんはドラクエ10で生活費を稼ぐようになってから変わってしまったのですか
ドラクエ10オフが80%びきかと勘違いするところが
移動鑑賞システムがあると、低レベルがptいても
高レベルへの攻撃を阻害できて意味がでてくる
FF11からドラクエ10に来た人めちゃくちゃ多いだろ
まぁそいつらが吉田叩きで対立煽りするんだけど
仁きゅん帰って来いよ
安西はもう飽きたよ