2004年(平成16年)11月27日は、プレイステーション2(PS2)用ソフト『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』が発売された日。本日で発売から20周年を迎えたことになる。
『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(以下、『DQVIII』)は、スクウェア・エニックスから発売されたRPG。国民的RPGと言われる『ドラゴンクエスト』シリーズのナンバリング8作目で、シリーズで初めてグラフィックの完全3D化を果たしたタイトルだ。
開発は当時『ダーククラウド』や『ダーククロニクル』を手掛けていたレベルファイブが担当。本作をキッカケとして、多くのゲームファンたちに「レベルファイブ」の名を知らしめることとなった。
://news.yahoo.co.jp/articles/8793368f417973ea9af2203e69352b8b96018ebf
今日でDQ8発売20周年です←DQ8のあと番号3つしか進んでないという事実
20年前の人たちって2024年にはとっくにDQ12が出てると思ってたんだろうな
DQ1からDQ5まで余裕で出てるしなんならDQ6まで出るかも
世界樹が頑張ってるかセーフ
とはならんか
藤澤仁のDQ8について
note.com/jin_fujisawa/n/n1a87051d6eb9
これ読むとDQ3リメイク担当してた方々全員藤澤仁の1/3もやる気なかったんだろうな・・・
挫折と孤独と燃え尽き症候群 ─『ドラゴンクエスト8』の思い出
DQ8開発当時(2002~2004年頃)は、僕が31~33歳の頃でした。
DQ7とDQ4リメイク(PS)の開発を経てドラクエを作ることの楽しさと難しさを実感した僕は、とにかく若さと野心に溢れていました。
同期の仲間たちと、「次はどんなドラクエを作りたいか」で朝まで語り合えた、今にして思えば、そんな青くて熱っぽい時代だったと思います。
不思議とDQ8時代の写真があまりないのでDQ7慰安旅行の。
あり得ないほど細い市村(白)とワシ(黒)
しかし当時の僕は、まあ我ながら面倒くさいやつでした。
仕事に対する熱意はあるものの何に対しても頑なで、それでしょっちゅう堀井さんを困らせていました。
とにかく万事そんな調子だったので、堀井さんからの信頼感も少しずつ失われていき、自分が空回りしていることは嫌というほど自覚していました。
思い返すのもしんどいのであまり具体は語りませんが、これがドラクエの仕事を始めてから最初に感じた、大きな『挫折』だったと思います。
(中略)
自分にとって明確に転機になったのは、2003年のスクウェアとエニックスの合併でした。
それまでドラクエの仕事は6年余りも在宅でしたが、これを機に毎日会社に出勤する体制に変わりました。
同期の仲間たちは環境の変化にとまどっていましたが、僕はこの時、これはチャンスと考えようと思っていました。そして、自分の中でこんな誓いを立てました。「今からDQ8の発売日まで、自分にできることをすべてやってみよう。そこまでやったら何ができるのか、自分の能力の限界を自分の眼で見極めよう」と。
それは自分との約束だったので、僕は己が持つ全資質と全時間をDQ8に捧げると決め、それを貫き通しました。
(中略)
ゲーム開発には、その日を境にもう一切データに触れてはいけないと定めた『データロック』という日があります。
僕は、「データロックまであと何日」と書いた紙を壁に貼って、その直前までクオリティの追求の手を止めませんでした。そして、(これはあまり人に話したことがなかったことですが)データロック当日、最後のデータを提出した後、僕は急に力を失ったような気分になって、自分のブースに隠れて声を押し殺して泣きました。
この夢中で駆け抜けた熱い半年間が終わってしまう、そう思ったら、それが異常なほど寂しくて仕方がなかったのです。考えてみれば、この頃から僕はもう壊れ始めていたのだと思います。
「燃え尽き症候群」
DQ8の開発を終え、発売日も過ぎ、そろそろ次のプロジェクトのことを考えなければならない、そんな頃の僕を襲ったのは記憶障害の症状でした。その後、ドラクエオンライン(後のDQ10)の開発が始まり、吉田さんや安西さんに色々と教えてもらいながらオンラインゲームの基礎を学んだりしている過程で自然と回復していったようで、僕は前と(たぶん)変わらない理解力と記憶力を取り戻しました。
(中略)
僕はこの後、DQ9とDQ10という二つの超難易度タイトルに挑戦することになるのですが、「絶対にあの時ほどはやらないように」ということは肝に銘じて、やりすぎそうになったときにはブレーキ。そう意識しながら臨んでいました。
自分にとっての『DQ8』
DQ8をクリアして流れるスタッフクレジットの、スクロールの一番最初に僕の名前は現れます。けれど僕は、DQ8のディレクターではありません。
ただ、このDQ8という作品がきっかけとなって、その後の人生は大きく変わりました。
DQ9、DQ10と二作品続けてディレクターを任せてもらえたことも、間違いなくこのときの仕事ぶりが認められたおかげだったと思います。
それに、自分には限界があるのだという大切なことを教えてくれたのも、やはりDQ8でした。
「今までで一番つらかった開発は?」と訊ねられたら、僕は間違いなく「DQ8」と答えます。それは今も変わりません。そして、その答えは日野さんも同じで、当時は本当にそれほどギリギリまで働いていたんだよなあと、そんな実感をしたエピソードでした。
「DQ9は、自分の人生の代表作」
僕はよくそう口にすることがあります。「DQ10は、自分の人生で最大の作品」
これは恐らく確実で、残りの人生で更新することはもうできないだろうと思います。ならば、DQ8は自分にとってなんだったのか。それは一言では言えません。
DQ8は、最初の挫折を感じさせてくれたタイトルであり、人生最大のターニングポイントであり、一番つらかった開発であり、自分の資質と限界を教えてくれた───まるで青春のような作品でした。
この作品に深く関われたことは、自分の人生にとって大切な思い出であり、誇りです。
ドラゴンクエスト8、20周年おめでとう。
あれから20年も過ぎただなんて、本当に信じられないね。これからもずっと、多くの人に愛される作品であってください。
一人のスタッフとして、心からそう願っています。2024.11.27
ドラゴンクエスト8シナリオライター 藤澤 仁https://note.com/jin_fujisawa/n/n1a87051d6eb9
それ読んだけど、そこまでやって出来たのが賢者見殺しツアーなのか⋯⋯と思わなくもない
藤澤が作ったドラクエでよかったのはDQ10のバージョン1くらいかなぁ
モデリングとか、DQXとか、DQXIとかよりこっちの方が鳥山イラストが立体的な感じになってて好き
3DSで声付きになったやつ、普通に据え置きで出して欲しいなぁ
スマホのはダメだ
わかる
ドラクエ3の建物の数で限界を感じるわ
リメイクしてくれ
アニメ的、みたいな
分かる
10と11のグラってクレイアニメみたいで別物なんだよな
8はちゃんと鳥山絵を再現しようとしてる
神風とレベルファイブ共同制作でグラ作り上げてほしいわ
MSから金もらったTFLOのノウハウぶち込んでるからな
あとドラゴンなんちゃらっつー特技が初めて実装されたのも海外版だったはず
他のシナリオやシステム面では凡作だけど
5では仲間モンスターもたくさん増えたのに
当時4人で入れ替え無しってのにすごい不満だったわ
馬車乗ってんのに
主人公しかフィールドに表示されないしな
20代は9でしょ
本当華があるよね!
もう今やドラクエの話になると第一にゼシカのことが思い浮かぶよ。
ヒーローズ2もゼシカがいるから買った。
ドラクエに縋り付いて笑っちゃう
東方のソシャゲに「あのドラクエのシナリオライター」「堀井雄二の後継者!?」とか鳴り物入りで参加したけど疾風のようにサービス終了してたな
吉田が1年半かけてMMOらしく作ってたのをオフゲーに作り直してからリリースして、
そしてリッキーに丸投げしてスクエニから逃げたくせに良く言えたな
まぁ12年、それ以降も続く土台ではあったな
いい文章書くじゃあねえか
一方人生で最低の作品の敵14くんは絶が簡単すぎて実装3日目くらいでクリアされそうなのだった
せめてクリアしてから言えよw
人生で最低の作品ってことはWOW以外のMMO全部爆死やんけ
せめてWOWみたいな大ヒット作のMMO作って来てから出直して来な?
一方(俺にとって)人生で最低の作品の敵14くん(血涙)
これにはスクエニの仲間がどうのというコメは無いようだが
14を敵って言ってるコメにもお仲間レスすればいいのにな
ここまで来ると本当に何かの病気か障害持ってんだろうとしか思わんな
そういや有名な14アンチってみんな手帳持ちとかじゃなかったっけ?
簡単ならまだ文句だけですむ
問題はプレイする層がどんどんいなくなっていることだよ
ドラクエ10?
どんどんいなくなってる(願望
実装直後の絶は零式と違ってプレイヤーの1%いるかどうかだぞ
アレは攻略法が確立して来たら挑む人口が増える
じゃんけんぽん ズコー
8が物心ついて最初に触れたドラクエ作品かつ、初めてのゲームだったから思い出深いなぁ。。
9は友達と放課後に地図を持ち寄ることが面白かったけど、8のどっしり感とかちょっとオープンワールドな感じが無くてすぐ辞めちゃったんだよね…
だけど10で8の感じが戻ってきてアホみたいにハマって数年後に受験とかでも離れたけどやっぱり落ち着くと帰ってきちゃうんだよね。
そんな作品を頑張って作ってくれたフジゲルには感謝しかない。
物陰で泣いたとか壊れたとか限界を感じたとか堀井に飽きられたとか
女々しい語りグセがあるのは物書きだからか
辛く感じたのは東大に何浪もして入るタイプの人だからかもと思ったり
BGMに関しては間違いなく椙山のピークだった作品
9以降は枯れていき使い回しばかりになった
才能が枯れたとは思いたくない
体力的に無理になったんでしょう
8も9も10のver1もメインシナリオ自体はかなり微妙だったから、メインシナリオの大筋考えるのはあんまりセンス無かったのではと思ってしまう
ゲームとしてはどれも面白い箇所はあったんだけどね
小話は面白いの多いけど、幹がいまいち意味不明なつながりになりがち
代表作は第四境界だからな。ドラクエのディレクターだったことはそのうち黒歴史だな
8だけ一切ふれたことないんだよなあ
今だと何の媒体でやるのが一番いいんだろか
”最大”の作品であって”最高”ではないのがミソだって気付いてる奴が果たしてどれだけいるか
藤澤さん好きだわ